地元の方の案内で、石巻市内を回った。
石巻市は、エリアの約2/3が津波の被害に遭った。
水がだいぶ引いてきて、行けるところが増えてきたからと、
海岸沿いまで連れて行ってくれた。
でもやはり途中、道路に池みたいな水たまりがあって、
無理しないで欲しいと何度も言ったのだけど、
「昨日自転車で通ったから大丈夫」と、ずんずん車を進ませていく。
「この津波被害をちゃんと記録して欲しい」
この人は何度もそういって前へ向かった。
被害が非常に大きかった地区の町内会長さんだが、
「きちんと残したい」とはっきりした意志をもって、
自分の知っている限りのロケーションを案内してくれた。
津波が全てをさらっていった海岸線のエリア、工業湾付近。
戦地にたとえる人もいるが、かつて長崎で見た「爆心地」の写真の印象に近かった。
家が並び、集落があったのだろうが、土台しか見えない。
「点」ではなく「面」の果てしない傷跡なのだ。
崖沿いの、最も被害のひどかった地域、門脇町と南浜町。
海岸線から崖に向かって全ての物が流れ溜まり、その後、出火した。
全部焼けていた。
家も車も学校も電柱も木も、見える物が何もかも焦げた「色」だった。
旧北上川沿いの繁華街、中央町付近。
石巻一のメインストリートで、多くの商店が並ぶが、
1階は(おそらく2階も)どこもまだ黒く濡れたヘドロで埋まっている。
やっと車が通れるようになったばかりのところに、
多くの人が片付けに戻っていた。
2週間前までは立派な生活道具だったはずの物が、
ゴミや瓦礫として通りに積まれていく。
海岸線から2km以上内陸の蛇田は、
一部が床上浸水で大きな被害を免れた唯一の地区だったが、
満水になっている「洪水調整池」を目撃した。
洪水(防災)調整池とは、雨水が河川から流出するのを抑制するために、
一時的に溜め池の役目をする施設。
台風や集中豪雨時の雨量強度を想定して作られるが、実際に満水になることは滅多にない。
津波に対して機能したと言えるのかどうか分からないが、
調整池が満水の光景だって、本来ならとても奇妙なはずだ。
(調整池は、公的なものかどうか確認できていません)
共通するのは、「日常」「暮らし」がまるごと津波にさらわれてしまったという点だが、
数百メートルという単位で、被害の景色が違う。
本当に果てしない。
メディアだけでなくあらゆる立場の人が、この破壊と営みの境界線に立ち、
この記録を残していくべきと思った。
災害を記録せよ。
被災者・当事者は伝えたがっている。
<4/22追記>
みたいもん:311東北地方太平洋沖地震:デジカメ1台があることで記録できることの意味
で記録することの大切さをいしたにさんが書いてます。
位置情報を残しておくことがとても大切ということですが、
私も途中から知人から同じ指摘を受けました。
一眼レフカメラやCFカードでは位置情報を付加できないので、
まずiPhoneで1枚撮ってジオタグを残すようにしてから、撮影していました。
被災地に入られる場合、
みなさまそれぞれの社会的な役割を持った目線での記録活動をしてください。